【のんびり散策】浦添大公園で学んでみよう(歴史学習ゾーン)

公開日 2017/11/09

「浦添大公園」の魅力を、学芸員の比嘉正一さんと「散歩してみよう」「遊んでみよう」「学んでみよう」の3つの目的に分けてご紹介していきます。

「浦添」は首里以前の王都!?
歴史学習ゾーンで学んでみよう

歴史学習ゾーンは、浦添城跡の当時の姿を再現し、出土した遺物等を通して浦添グスクや沖縄(浦添)のたどってきた歴史を深く理解する場として位置づけられています。

浦添ようどれ歴史学習ゾーン

スタートは浦添グスクようどれ館です。こちらでは、浦添グスクと浦添ようどれの発掘調査での出土品や戦前のパネルなどを展示しています。駐車場もあります。

浦添グスクようどれ館浦添グスクようどれ館駐車場

約50メートル先に浦添城跡入口があります。こちらにも駐車場がありますので、浦添グスクようどれ館で駐車できなかった場合はこちらが利用できます。浦添城跡入口の方へ向かっていくと道中、ハイビスカスやモミジバヒルガオやニチニチソウといった綺麗な花たちがお出迎えです。地元の仲間地区の皆さんが手入れをされているそうです。

植栽植栽

浦添城跡入口正面にある、「琉球国中山王陵 浦添ようどれ」の案内板を左に行くと浦添ようどれに行きます。

浦添ぐすくようどれ

道すがらいろいろな見所があります。まずはこの見晴らし!

ようどれ見晴らし

琉球石灰岩に生えるヒメクマヤナギ。今は花が咲いていますが、この花が散って実がついて、その実が熟すと甘くなるそうです。昔のひとたちはこれをおやつ代わりに食べたそうですよ。

ヒメクマヤナギ

下りていく途中にある、どんぐりが付くアマミアラカシ。

ようどれに降りる道アマミアラカシ

浦添ようどれの入口です。一礼して入ります。

ようどれ入口

浦添城跡北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、13世紀に英祖王(えいそおう)が築いたといわれています。1620年に尚寧王(しょうねいおう)が改修し、自身も葬られました。写真右が英祖王、左が尚寧王の墓といわれています、中には中国の石で作られた厨子があり、県の有形文化財に指定されています。

浦添ようどれ

下からの眺めも荘厳です。

浦添ようどれ

ここで一旦、来た道を「琉球国中山王陵 浦添ようどれ」の案内板まで戻ります。次は案内板の右側を進んでいきます。

浦添城跡

遊歩道に沿って進んでいくと、右手に「沖縄学の父」と言われる、伊波 普猷(いは ふゆう)のお墓があります。伊波普猷(1876年~1947年)は語学学者の金田一京、日本民俗学の創始者である柳田国男や折口信夫とも親交が深かった沖縄研究の第一人者です。郷土を慈しみ深く広く研究して沖縄学という分野を生み出しました。

伊波普猷の墓伊波普猷の墓

その一角にこんな植物が。クロツグというヤシの一種で、神木だそうです。立派な実をつけていますね。

クロツブ

さらに進むと浦添グスクの城壁が見えてきました。13世紀に築かれた浦添グスクは、14世紀には瓦ぶきの正殿が建てられ、周囲を石積城壁で囲む大規模なグスクとなりました。王城が首里に移った後に尚真王(しょうしんおう)の長男・尚維衡(しょういこう)が居住しましたが、1609年の薩摩藩の琉球侵攻により焼き討ちにあいました。浦添ようどれ含め国指定史跡となっております。

浦添城跡浦添城跡

このあたりで石敷や石列といった遺構や明朝系瓦(中国系の技術で造られた瓦)などが発掘されたそうです。浦添城内にあったとされる番所跡かもしれません。

浦添城跡

おや?あれはクロイワツクツク!蝉の中では夏の季節の一番最後に鳴く種類だそうですよ。取材日は10月ということで、沖縄の夏の終わりを告げに出てきたようです。

クロイワツクツク

こっちには、リュウキュウムラサキがいました。リュウキュウとついていますが、沖縄にいる蝶ではないそうです。台湾やフィリピンといった南の地域から風に乗ってくるそうです。

リュウキュウムラサキ

一気に視界が開けました。展望広場です。こちらには「この一帯が沖縄戦時激戦地で米軍からハクソー・リッジと呼ばれて、恐れられていた」との説明ボードがあります。

ハクソーリッジハクソーリッジ

はるかかなた久高島も見えます。日の出・日の入りの方角が年間で最も南寄りになる冬至の日には、「久高島」から上る太陽が見えるそうです。沖縄では古くから「太陽は東の穴から出て、西の穴に入ると考えられており、「久高島」は太陽(てだ)の穴に最も近い島とされていたようです。冬至の日に「久高島」から上る太陽が見られるこの浦添グスクは、計算されつくしてこの地に築かれたと言われています。

久高島

ここは浦添グスクの正殿があったといわれる場所です。土台となったと思われる石がこのくぼみの中にあります。

浦添グスク本殿

こちらは浦添城内殿(トゥン)です。

浦添城内殿(トゥン)

この一帯には立派なガジュマルが多くあります。

立派なガジュマル立派なガジュマル

遊歩道を道なりに進んでいくと、「浦添城の前の碑」があります。浦添出身の尚寧王が、1597年に首里と浦添を結ぶ石畳道を整備した際の竣工記念碑です。表にはひらがなの琉球文、裏には漢文で、石を積み橋を架け、岩を刻み道をつくったことが記されています。こちらに書かれている石畳道を降りて行きます。

浦添城の前の碑石畳道

石畳道を下まで下りると、浦添大公園南エントランス管理事務所があります。多目的室の中には、浦添グスクの模型や出土品の模型や年表などがあり非常に面白いです。入場は無料で、うらおそい歴史ガイド友の会のスタッフも常駐しているので色々と質問できます。トイレ、飲料自動販売機があります。

南エントランス南エントランス

浦添グスクから出土した高麗系瓦の実物大模型もあり、昔グスクにあった建物の屋根の迫力を体感することができます。

南エントランス南エントランス南エントランス

休憩と水分補給が終ったら、来た道を戻ります。突き当りを左に行くと、浦添城壁跡が現れます。このあたりはまだ発掘中だそうです。

城壁跡

沖縄戦の戦跡です。浦添グスク一帯は前田高地と言われ沖縄戦最大の組織的な激戦地だったと言われています。当時、浦添の人口は、9,217人でしたが、そのうち戦争で亡くなった人は、4,112人にも及びました。実に44.6パーセントの住民が戦争の犠牲者となったのでした。

戦跡戦跡

このモンツキガヤの密集地をぬけると浦添城跡の案内板がある駐車場にでます。これで歴史学習コースは終わりです。豊かな自然に触れながらいろいろなことが学べる歴史学習ゾーンでした。もっと詳しく知りたいと思われる方には、浦添グスク周辺を中心にガイド活動を行なっている、「NPO法人うらおそい歴史ガイド友の会」の歴史ガイドがおすすめです。

うらそえナビの過去記事、舜天・英祖・察度「浦添三大王統」ゆかりの地を訪ねるも参照下さい。

地図

浦添グスクようどれ館

※この記事はに作成されました。公開時点から変更になっている場合がありますのでご了承ください。

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