自然体で変化しつづける女性陶芸家ユニット

公開日 2015/08/18

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名前
与儀祥子 下地かおり
お仕事
陶芸家
出没スポット
茜陶房
出身地
沖縄県那覇市
フィード情報

求められるうれしさに感謝して、
二人で製作を続けるということ。

 

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女性2人で営む陶芸工房「茜陶房」の作家である与儀祥子さんと下地かおりさんは、実は中学からの同級生同士。え、そんなに古くからのおつきあい?長いですね~。
「厳密に言うと、中学は15クラスあったんで顔がわかるという程度。高校の美術選択で同じクラスになって、そのクラスでとても仲がよかったんです」。
その後、二人とも上京し進学。与儀さんは美術方面へ進んで陶芸教室に勤務。下地さんは英文科へ進みOLに。あるとき、沖縄に戻って独立しようと思っていた与儀さんが、たまたま下地さんに「いっしょにやってみる?」と声をかけ、茜陶房が誕生したのだそう。ずっとその道を貫いてきた与儀さん。こういってはなんですが、畑違いの方向に進んだ下地さんをなぜ誘ったのかしら?

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「たしかに私は作るほうの専門としてずっとやってきました。彼女は見る系で美術方面から離れていなかった。知識も豊富だし、やってみたらやはり上手。高校のときから器用だったし、信頼していたというのはあります」と話す与儀さん。何かを作るときには、まずコンセプトを相談しながら作っていく。これはカジュアルなものなのか、おもてなしのものなのか。映画の中のひとつのシーンのようになんの料理を出すのか、お酒はどうする?と話し合っていく。そこのイメージを共有して合致したら製作に入っていくのだそう。

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「兄弟が多いという家庭環境や親の世代がいっしょとか、古い家に育ったとか原風景が似ているんです。戦後からの日常でファイヤーキングとかもあたりまえにあったし」と下地さん。そういう原風景が似ていることが、イメージの共有の際、説明なしでスムーズに進むというのが共同製作しやすい大きな理由だという。1つの作品を作るときも製作作業としての分担は特に決めずに、自然と協力してやるスタイルが根付いている。作品作り以外では、ラッピングや接客は下地さん、データ整理や事務作業は与儀さんと得意なほうが受け持つ。オープンから18年。最近は年齢を感じて大変なことも多いというふたり。

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「陶芸は肉体労働です。まだまだ飽きないけど体力との勝負という部分も大きいです。大きな土を練るとか、去年できたことが今年はできなくなることもあります」。「でも、体力がなくなったなりの楽しさもあるよね。その範囲内でできることを楽しむというか」。「そうそう。できなくなることに驚かなくなった」。「年月って大きい。体力は落ちるけど、自分の成長が見えてくる。若いときには気づかなかったから年をとってよかった、幸せだなと感じるよ。最近になってようやくやりたい仕事がきたりするし」。

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私の原稿書きもなんですが(おい!)作れなくなるときってありませんか?
「ありますよ!そういうときは土だけ練っていたり、飲みにいくときもあるし…。でも結局あまり抗わないというか。自分はもっとできるはずというのを捨てるんです。これ以上でもこれ以下でもない、こんなもんの私を認めてあげる、それしかないかも」。あぁ、いたいー。今の深すぎる言葉。うちあたいしまくりです…。「あと締め切りがまじかでも時間がないとあせって作ったらまずだめ。結局やり直しすることも多いです」。

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茜陶房はまだ確立していない。だからまだまだ楽しくなるし、続けていけると語るお二人。「私たちの仕事って絶対必要なものじゃないんです。ニーズがないとやっていけない職業。それにどう向き合うか。求められるうれしさ、使ってもらえるうれしさに感謝していきたいですね」。

地図

茜陶房

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