リオ・ウィルチェアーラグビー銅メダル!仲里進選手の素顔に迫る

公開日 2016/11/12

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名前
仲里 進(なかざと しん)
プロフィール
1977年4月6日生まれ。浦添市出身。先天性多発性関節拘縮症で生まれながらに障害があり、18歳から車椅子に。車椅子バスケットボール、車椅子ツインバスケットボールと並行して、2002年からウィルチェアーラグビーを始める。同年、初の日本選手権へ出場。その活躍が認められ、2003年に日本代表入りを果たす。2004年からはアテネ、北京、ロンドン、リオと日本代表の一員としてパラリンピック4大会に連続出場し、リオパラリンピックでは銅メダルを獲得。また、海外クラブからのオファーを受け、アメリカで4シーズン(アラバマ州・テキサス州・フロリダ州の3チーム)、オーストラリアで1シーズン(クイーンズランド州ブリスベンの1チーム)、1枠のみの助っ人外国人としてプレーするなど、その才能は国内外から注目されている。
出身校
内間幼稚園・内間小学校・神森中学校・浦添高校
所属チーム 沖縄ハリケーンズ
勤務先
アディダスジャパン

 

浦添市民栄誉賞第一号!
リオパラリンピック銅メダルの仲里進選手にインタビュー!

みなさん、ウィルチェアーラグビー(車椅子ラグビー)って知ってますか? 1977年にカナダで考案され、2000年のシドニーパラリンピックから公式種目になった競技です。バスケットと同じ広さのコートを使い、4対4の対戦を8分×4回行います。選手は障がいの程度によって持ち点がつけられ、4人の持ち点の合計がルールで決められた点数以下になるようにチームを編成します。ゲームは、ゴールライン上に置かれたゴールポストをボールを持った選手が通過すれば得点になるというもの。現在、日本代表チームは、オーストラリア・アメリカに次いで、世界ランキング3位! リオパラリンピックでみごと銅メダルを獲得したのは、ご存知の方も多いのではないかと思います。

 

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リオで日本代表チームの一員として活躍したのが、浦添市出身の仲里進(なかざとしん)選手。浦添市を拠点とする車椅子ラグビーチーム「沖縄ハリケーンズ」に所属し、2004年のアテネパラリンピックから4大会連続で日本代表に選出されています。浦添市出身の選手がパラリンピックで銅メダルを獲得したというドデカいニュースには、浦添市民はもとより、沖縄県民も大フィーバー。2016年10月13日に浦添市初となる浦添市民栄誉賞を受賞し、さらに2016年11月22日には沖縄県民栄誉賞が授与されることも決定しました〜!ということでうらそえナビでは、浦添市民栄誉賞の授与式当日に仲里選手へのインタビューを敢行しました! うぉ〜〜、仲里選手、ご本人の登場です! ど、銅メダル! そして、銅メダリストだけがもらえるというパラリンピックマスコット「トムくん」の銅色ヘアバージョンを持ってきてくれましたよ。初めてリアルに目にした銅メダルの重いこと! その扱いにビビりながらも(といいつつ…扱いが雑だと指摘されつつも。汗)、さっそくいろいろとお話を伺ってみることにしました。

 

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障がいを持って生まれましたが、もともとスポーツが大好きだったという仲里選手。最初は友だちに混じって同好会に入ったり、コーチの手伝いをしたりとサッカーに親しんでいたんだとか。その後、自分で競技をやってみたいと思って始めたのが車椅子バスケットボールと車椅子ツインバスケットボールだったといいます。ウィルチェアーラグビーを始めたのは2002年のこと。「ツインバスケは日本国内だけのスポーツなんですが、ウィルチェアーラグビーなら世界をめざせる。当時、日本代表だった神里和彦さんから、僕の障がいならウィルチェアーラグビーに向いていると誘われたことがきっかけです」。ウィルチェアーラグビーが車椅子バスケと決定的に違うのは「タックルができること」。「衝撃がすごくて最初は怖いと思ったんですが、やり始めるとそれが快感になりましたね(笑)」。競技用の車椅子の下のほう、わかります? ぼこぼこです。2年しか持たなというから、その衝撃の強さが伺えますね…確かに、怖っ。「この後の授与式でみなさんにタックルを体験してもらうので、ぜひ参加してください。実際に体験してみないといい記事は書けませんよ」。仲里さん、出会ったときから話しやすくて気さくでいい人だなぁと思ってたんですが、油断しているとけっこう鋭いツッコミを入れてくるあたり、さすがに世界をめざす人だなぁと感心しつつ…えへん、質問を続けましょう。

 

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(タックルの話は聞こえなかったことにして…)ちょっとまってくださいよ!2002年にラグビーを始めて、2004年のアテネから日本代表になったんですよね? そこから4大会連続パラリンピック出場ってすごくないですか?「そう言われて、はい、すごいですと言えるわけないじゃないですか(笑)。パラリンピックの選手などは4年に一度出場したことが注目されがちですよね。でも、障がい者スポーツは競技人口が多くはないとはいえ、ウィルチェアーラグビーでも登録選手が日本全国で200人ほどいます。その中で代表に選出され、さらに世界中の代表チームの中から8強に選ばれるまでが、選手にとってひとつの大きな壁なんですよ。アテネではメダリストを遠くから見ていて、一生無理だろうなと思ったし、北京では世界4位をめざして頑張ったのに、結果として7位でしたからね。12年間いろいろな方のサポートがありましたし、今回のリオでどうにかメダルという形で恩返しができた。ホッとしたというのが正直な気持ちです」。

 

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日本代表チームのベテランとして、若手に戦術やプレーのアドバイスをすることもあるという仲里選手。チームのまとめ役にもなっているんでしょうか? 「僕はムードメーカー的な存在。ちょっと雰囲気が壊れてきたなぁと思うと、おちゃらけたり、ハグしたり、チューしたり、いじれという指令を出して自分をいじらせたり(笑)、笑いを取るためにカラダを張っていますよ」。

 

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実はこの日、浦添市が発行している「広報うらそえ」の取材のために同席していた国際交流課の玉S氏が、幼小中高の後輩であると判明。なれないインタビューにオドオド気味の玉S氏の様子を見て、カツを入れている仲里選手。そのムードメーカーぶりを垣間見た思いのうらそえナビスタッフでした(あ、すみません。写真は完全にやらせです。玉S氏ノリすぎです)。


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ムードメーカーという一面はそのヘアスタイルにも表れていますよね。この一目見たら絶対忘れられないモヒカンのこだわりは?「北京の時に気合いを入れる意味もあり、特別な舞台で楽しみながらプレーしたいという気持ちもあり、どうやったらみんなに覚えてもらるかということも考えて、この頭になりました。やり始めたらやめられなくなってしまって(笑)。これ、シャンプーしてジェルで固めて、ダンサーとかが使うハードスプレーで動いてもくずれないようにしてるんです。けっこう大変なんですよ。というか、そのツッコミやめてください!」…あ、すみません。うふ♪

 

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話が多少よこ道にそれてしまいましたが、このインタビューの後、浦添市民栄誉賞第一号という晴れの舞台が待っています。仲里選手、今の気持ちはいかがでしょうか。「こんなモヒカンでいいんですか?っていう感じですが(笑)、浦添市は生まれ育った場所であり、いいことも悪いことも含め、いろいろな経験をこの地で積んできました。この環境があってこそ、今の自分があると思います。その浦添市に認めてもらえたということはとても光栄です」。

 

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「沖縄のローカルチームから代表に選ばれて、県外に赴いたら沖縄の人がいろいろと助けてくれました。そこから、海外に行くようになったら、今度は沖縄の人はもちろん、日本人がいろいろと助けてくれるようになりました。競技を続ける中で、いろいろな場面で自分のルーツというものを感じるんです。だからこそ、僕はこの浦添、そして沖縄から世界に出て行くことに意味があると思っています」。

 

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「ウィルチェアーラグビーだけではなく、沖縄にはほかにも障がい者アスリートがいます。代表に選ばれるためには、金銭面やトレーニング面で大変なこともありますし、センスも問われると思いますが、本気で挑めば沖縄からでも世界に出ることができる。東京パラリンピックでは、沖縄出身の選手がもっと出てきてくれるとうれしいですね。そのためには、地域の理解や選手を育てる環境づくりも大切になってくるのかなと思います。僕らもまた、さらに上を目指していきますが、逆に実力で僕らのポジションを奪ってくれるくらいの若手が出てくるのも楽しみです」。

 

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この後、行われたセレモニーでは、松本哲二市長もタックルに挑戦。「ものすごい衝撃。さらにそれよりも仲里選手のタックルの瞬間の目がすごかったね」とは市長のコメント。写真からもその衝撃が伝わるようですよね。浦添市民栄誉賞は、世界クラスの活躍をした人ではないと授与できない貴重な賞です。2013年に制定されて今まで該当者なしだったのがなによりの証拠。仲里選手の受賞は、浦添市民の誇り。集まったどの人の顔もうれしそうなのが印象的でした。

 

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「今後も僕にとっては1年1年が勝負です。まず日本代表に選ばれること。パラリンピックにも予選があるのでそれを通過すること。そして年齢。40を超えた自分がどこまで戦えるか。いい意味のプレッシャーや課題はたくさんありますが、ひとつひとつ挑戦していきます」。目指すは2020年の東京パラリンピック。日本代表がさらなる表彰台の高みへ登れることを祈って! 仲里選手、すばらしく楽しく、そして聞いているこちらまで元気をもらえるお話をありがとうございました! これからのご活躍も心より応援していますよ!(P.S.婚活も頑張ってくださいね〜(^^)/)

 

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