【2013年2月】学園通り
公開日 2013/03/05
国道330号線に併走するパイプライン通りと国道58号線、この二つの道を横につないでいる「学園通り」。伊祖、港川、城間と三つの字を通るこの通りはその名の通り浦添市立港川中学校、港川小学校、浦添商業高校が建ち並んでいるのですが、いつから「学園通り」と呼ばれるようになり、どのような経緯でできたのでしょうか。通り会の方々にお話を伺いました。
通り会の方々にお話をうかがう
今回お話を伺ったのは学園通りができる前から通り会の会長をしていたという知花会長と、もと副会長の宮城さん。
- 学園通りはいつくらいからできたのでしょうか?
この通りができたのは今から28年前くらいかな。最初は「コミュニティセンター通り」という名前だったんですよ。コミュティセンターができるから、そこを盛り立ててくれと言われて有志が集まったんですね。その2年後かな。港川小・中学校、浦添商業高校ができて「学園通り」に改名したんですよ。だから通り会の方が学園通りよりは古いんです。だから学園通りになってからは26年くらいになりますね。
もともとこのあたりは川だったらしいです。それを市が埋め立てて、道路を通したんですよ。その頃は港川中学校あたりは山でした。その頃は今みたいにお店も整然とはしていないですよ。
その当時から見ると、もうお店もずいぶん変わりましたね。でも、昔からやっているお店もありますよ。うちのお店(知花会長のお店「割烹ちばな」)もその当初からずっとあります。他には我那覇電気さんや久米島の久米仙だったり、昔からのお店がありますね。
- 学園通りの通り会の活動を教えてください
今は花いっぱい運動をしよう、ということで植木鉢に花を植えたりしていますね。これは通り会が主体で行って、通り会に入ってくる人に気持ちよく買い物ができるようにということでやっています。他にも以前、港川中学校で親子一緒にシーサー作りをしたんですよ。それを道に飾るようなこともしていました。
そして今回はヤクルトスワローズのキャンプにあわせて、「ながさわたかひろプロ野球ぬりえ in 浦添学園通り」というのをやりました。これは芸術家のながさわたかひろさんが書いた「プロ野球ぬりえ」を学園通りの各お店に展示して見られるという試みです。
活動の中で学園通りが力を入れているのは毎年夏休みの最終日曜日にやっている「夏祭り」です。地域の子ども達を巻き込んで、エイサーをやったり、空手をやったり。今年で23回目になりますね。学園通りができてからしばらくして夏祭りが始まったんですが、昔は祭会場の確保なんかも色々苦労をしました。色々あって今の場所に落ち着いたのですが、今は通りに面した各自治会から出し物が出たり、各商店がくじ引きの賞品を提供してくれたり、通りにある企業から人員を割いて手伝ってくれたり、とても活発なお祭りですよ。毎年多くの子ども達で盛り上がっています。
他にもパン屋さん、寿司屋さんなんかが学校に授業で講師で色々な物作り体験などをして教えているんですよ。これが本当の地域に対する恩返しというのかな、それを始めて子ども達から挨拶されたり、声をかけられたり、よいコミュニケーションができています。浦添商業が甲子園に行ったときも学園通りとして寄付を集めてそれをもって応援に行ったりもしました。ここ学園通りは自治会や学校、色々な人を巻き込んでただの通り会活動だけではなく、より密な関わり合いができているんじゃないかと思っていますよ。
学園通りを歩いてみる
それではパイプラインから学園通りを歩いてみましょう。
沿道には花を植えた鉢植えが。先の話であった花いっぱい運動の一環のようです。
我那覇電気店。ここも学園通りに古くからあるお店なのだそう。
浦添商業高校の入り口。
パン屋さんのアルペンローゼは移転のため、学園通りから少し奥まったところにお店が移動しましたが、学園通りで古くから活動をされているお店の一つだそうです。
先の知花会長のお店、割烹ちばな。
なんだかレトロなパーマの看板。
なんだかレトロなフォントのアパート。
車庫みたいなスペースでやっている八百屋さん。
港川中学校。門扉には手作りのシーサーがならびます。
こちらは港川小学校。
壁面には生徒の名前入りのタイルが。
ずっと歩いて行くと、もと「ゆーふるランド」(現在閉鎖中)。ここで58号線にぶつかり、学園通りの終点です。新しいお店と、昔ながらのお店が混在する学園通り。なかなか端から端まで歩いて通ることはないのではないでしょうか?天気のよい日は街路樹の木陰も気持ちよいので歩いてみてはいかがでしょうか?あたらしい発見があるかもしれませんよ。
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