浦添グスクの缶詰壕とカンパン壕

公開日 2013/01/01

前田高地の缶詰壕とカンパン壕

浦添グスクの缶詰壕とカンパン壕

沖縄戦当時、浦添城跡のある丘は前田高地と呼ばれ日本軍の陣地がありました。昭和20年(1945)4月末から米軍との間に「ありったけの地獄を一つにまとめた」といわれるほど激しい戦闘がここで行われ、日米の将兵だけでなく自然の洞穴(ガマ)に避難していた県民も犠牲になりました。

前田高地には日本軍用の食糧を保管していた「缶詰壕」や「カンパン壕」と呼ばれた壕が残されています。5月上旬に米軍が前田高地を占領した後も日本軍の将兵はこれらの壕に隠れていました。缶詰壕は「糧食壕」とも呼ばれ、魚肉団子やサバ、パインなどの缶詰のほか乾燥野菜や米、黒糖、酒、味噌に醤油などが豊富にあり、これらが入った箱や袋を出入り口に積み上げ弾よけ・爆風よけにしていました。カンパン壕には多数の負傷兵が収容されていましたが、カンパンの入った箱が天井まで届くほど積み上げられておりこの箱の上で寝起きする負傷者もいるほどでした。しかし薬品類は非常に乏しく手当もままならない状況でした。このような薄暗くて狭く息の詰まる壕内で馬乗り攻撃や戦傷に苦しみながら脱出の機会をうかがっていたのです。

なお、前田高地に残されている壕は天井が崩れたりして危ないので、全て入れないようにしています。外から様子を見るだけにして下さい。

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