王陵・浦添ようどれとグスクぶらりルート

王陵・うらそえようどれとグスクぶらりルート

初期の中山王陵である浦添ようどれと、国指定史跡・浦添グスクの復元された城壁をみながら歩くルートです。
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見どころスポット

浦添グスク・ようどれ館

国指定史跡「浦添城跡」のガイダンス施設です。浦添グスクと浦添ようどれの発掘調査での出土品や、戦前のパネルなどを展示しています。また浦添ようどれ西室(英祖王陵)内部を実物大で復元し、県指定文化財の「浦添ようどれの石厨子」のレプリカ(模型)も展示しています。

浦添ようどれ

浦添城跡内にある王の墓で、別名を「極楽陵」といいます。13世紀に造られた英祖王(在位1260~1299)の墓といわれており、1620年に尚寧王(在位1589~1620)により改修されました。

崖にある二つの横穴を石積みで塞いで墓室にした墓で、さらに周囲を石積みで囲っています。墓室は西側(向かって右)の西室が英祖王陵といわれ、東側の東室に尚寧王と彼の一族が葬られています。墓室には骨を納めるための石製の厨子が安置されています。

「ようどれ」とは琉球の言葉で「夕凪」を意味しており、その静かで穏やかなイメージから「墓」の意味に用いられているといわれています。

墓室内部は非公開ですが、「浦添グスク・ようどれ館」に西室内部を再現しています。

伊波普猷の墓

伊波普猷は〔沖縄学〕の父と呼ばれ、論文「浦添考」で浦添が首里以前の支配者の拠点であったと述べています。

ディーグガマ

デイゴの木があった洞穴(ガマ)が名前の由来です。『琉球国由来記』の「渡嘉敷嶽」という御嶽と考えられています。

浦添城の前の碑

尚寧王が1597年に首里と浦添城を結ぶ道を整備したときの竣工記念碑です。

南エントランス管理事務所

浦添グスクの南側入口にある県営公園の施設です。同施設の多目的室には、浦添グスクを紹介するパネルや、グスクの模型などの展示コーナーを設けています。入館は無料です。

ぶらりルート地図(地図を拡大・縮小する

 

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