尚寧王の道をたどる歴史の道ぶらりルート

尚寧王の道をたどる歴史の道ぶらりルート

約400年前に尚寧王によって整備された浦添と首里を結ぶ琉球王国時代の街道をあるくルートです。
国の史跡である中頭方西海道を含み、街道沿いに残る多くの文化財をみながら歩くことができます。
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見どころスポット

浦添グスク・ようどれ館

国指定史跡「浦添城跡」のガイダンス施設です。浦添グスクと浦添ようどれの発掘調査での出土品や、戦前のパネルなどを展示しています。また浦添ようどれ西室(英祖王陵)内部を実物大で復元し、県指定文化財の「浦添ようどれの石厨子」のレプリカ(模型)も展示しています。

浦添城跡

13世紀末に造られたグスクで、中山(沖縄本島中部)を勢力下におく支配者の拠点と考えられています。14世紀後半から15世紀前半ころには大規模なグスクになりました。政権拠点が首里城に移った後の16世紀には第二尚氏第三代の尚真王のの長男である尚維衡が住み、それ以降は彼の子孫が屋敷を構えていたようです。しかし1609年の薩摩侵入の時に焼け落ちてしまいました。

1945年の沖縄戦ではグスクがある丘陵は前田高地と呼ばれ日本軍の陣地となったことから激戦地となり、残っていた石積み城壁などは失われました。

浦添城の前の碑

尚寧王が1597年に首里と浦添城を結ぶ道を整備したときの竣工記念碑です。

南エントランス管理事務所

浦添グスクの南側入口にある県営公園の施設です。同施設の多目的室には、浦添グスクを紹介するパネルや、グスクの模型などの展示コーナーを設けています。入館は無料です。

龍福寺跡

浦添間切番所跡

中頭方西海道

中頭方西海道は、琉球王国時代に首里王府からの命令伝達や租税の上納に使われた宿道と呼ばれる幹線道で、公事道ともいいます。

中頭方西海道は首里城を起点として浦添を経由して読谷に至るルートで、さらに北の恩納や国頭方面をつなぐ主要道路でした。

1597年建立の「浦添城の前の碑」によれば、尚寧王の命令により首里平良と浦添城をつなぐ道を拡張し平良橋を木橋から石橋に架け替え、道に石畳を敷く国家的大土木工事を行ったことが分かります。

現在は安波茶橋とその周辺に石畳道が残されています。

安波茶橋・赤皿ガー

安波茶橋は小湾川に架けられた石造のアーチ橋で、南橋と北橋があります。

経塚の碑

昔、ここに巣くう妖怪が道行く人々をたぶらかしていました。

16世紀のはじめ、日秀上人が金剛経というお経をかいた小石を埋め、その上に「金剛嶺」と刻んだ石碑を建て妖怪を鎮めたと伝えられています。また、大地震があってもこの場所は揺れなかったとされ、地震の際には「チョウチカチカ」「チョウチカ、チョウチカ」(チョウチカ=経塚)と唱えると地震がおさまると信じられるようになりました。

七番毛

王様が道すがら休憩した広場

北の坂(ニシヌヒラ)

石畳風の階段に整備しました!

南の坂(フェーヌヒラ)

ぶらりルート地図(地図を拡大・縮小する

 

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