歴史街道ウォーク in 浦添

公開日 2015/10/25

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浦添には琉球王国時代につくられた、由緒正しい歴史の道があります。15世紀後半以降、首里王府は王命の伝達や役人の往来、物資の運搬などを迅速に行うために、宿道(しゅくみち)と呼ばれる幹線道路を整備しました。このうち浦添を通るルートは2本、首里を起点に浦添、北谷を経由して読谷に至る、沖縄本島を西側に北上する中頭方西海道(なかがみほうせいかいどう)と、浦添から途中分岐して宜野湾に至る普天満参詣道(ふてんまさんけいみち)があります。どちらの道も歴史的な価値が高く、また保存状態が良好なことから、国指定文化財に選ばれているほか、中頭方西海道は文化庁の「歴史の道百選」にも選ばれています。さあ、400年以上前の石畳道や橋梁などの遺構を歩いて、王様気分に浸ってみましょう。

 

浦添城跡から首里を目指して南進
中頭方西海道をゆく!

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浦添で歴史街道めぐりをするとき、起点にすると便利なのが、浦添グスク・ようどれ館。NPO法人「うらおそい歴史ガイド友の会」の活動拠点でもあり、同会が毎年文化の日に開催している人気イベント、中頭方西海道沿いに首里城まで歩く「尚寧王の道をたどる」ツアーの集合場所もココ。また反対側に北に向かえば、普天満参詣道の石畳道まで歩いて約15分で到着します。出発前に入館すれば歴史の予習になるし、ついでに浦添ようどれと浦添城跡も見学できるし、25台収容の無料駐車場はあるし、事務局長はおもしろいし…といいことづくめですヨ。

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今回案内してくれるのがこちらの3名。真ん中が、うらそえナビ3度目の登場となる、NPO法人うらおそい歴史ガイド友の会事務局長の玉那覇清美さん、その両脇に立つ2人の爽やかな好青年が、浦添市文化課グスク整備係の安斎英介さん(左)と仁王浩司さん(右)。安斎さんは、歴史を語らせたら3度のごはんまで話が止まらない職人肌、仁王さんは、すべてのギャグに歴史の話題を織り交ぜてくる知性派です。出発直前、玉那覇さんは急きょようどれ館の留守番をすることになり、この日は安斎さんと仁王さんに案内してもらいました。

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それでは前半は「尚寧王の道をたどる」のコースに沿って、中頭方西海道を南進していきましょう。まずは浦添城跡の城郭内に入って、敷地南側にそびえ立つ「浦添城の前の碑」へ。これは浦添出身の尚寧が琉球国王だった1597年、首里平良と浦添城を結ぶ道路が整備されたことを表す竣工記念碑です。碑文によると、道筋に石畳を敷き、幅員も大きく拡幅し、あとで紹介する安波茶橋を木橋から石橋に改修したことなどが記されています。

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さて、石碑のオモテとウラを見比べてみると、首里を向いているウラ側は漢文なのに、浦添城郭内のオモテ側は仮名文であることが分かります。書かれている内容も若干異なり、オモテには「道路が整備されたことでこれまでの不自由が解消し、住民はみんな大喜び。国王様ありがとう!」と尚寧の功績をたたえているのに対し、ウラ側には淡々と、工事の内容がつづられています。

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見落としがちなのが、石碑の前にある大きな石。こちらは「馬ヌイ石」と呼ばれるれっきとした文化財で、馬の乗り降りの際にノロ(祝女・神女)が馬から下りる際の台として使われていたんだとか。ほら、馬ヌイ石と石碑をじっと見ていると、首里から到着したノロが、馬上から颯爽とフライング・ディスマウント!…なんかはもちろんせずに、おしとやかに下馬する姿が目に浮かぶようですね。

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ここからは浦添城跡を抜け出し、一般道を歩いて行きます。安波茶交差点から県道153号沿いに約300メートル進むと、右手のビルの一角にこんな建造物を発見。ほほう、これは車に乗っていたらなかなか気が付かないや。案内に従って入ってみましょう。

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すると…真下にズトン!と階段が落ち、その先に風情漂う石畳道と、アーチ状の石橋が見えています。この石橋が、先ほどチラッと触れた安波茶橋で、尚寧王時代に木橋から石橋に建て替えられたものです。また発掘調査によると、石畳にはほとんど琉球石灰岩が用いられ、幅員は3.1メートルの規模だったことが分かっています。そして今見えている約187メートルの石畳道が、国の史跡に指定されている区間になります。地元の人が普段の通勤・通学や買い物で、400年前の石畳道を歩いているなんて、ちょっとロマンを感じるお話です。

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これは橋を渡った地点から振り返ったところ。ご覧の通り安波茶橋は、南北2基の石橋で構成されており、手前が小湾川に架かる南橋、奥が支流のアブチ川に架かる北橋です。なお北橋を崖沿いに30メートルほど伝った場所には、国王がひと休みがてら、赤いお皿で水を飲んだとの言い伝えがある「赤皿ガー(湧水)」が現存しています。今は土砂崩れの危険があって入ることはできませんが、「近年中に整備します!」と安斎さん。

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で、当然なんですが、坂を下りたら同じ分だけ上らないと、元の高さの地点には戻れないんですね。仁王さんいわく、「“尚寧王の道をたどる”の参加者の皆さんも、安波茶橋を挟んでの上り下りが、結構応えるようですね」とのこと。先ほどの赤皿ガーが、休憩地点に使われていたのもうなずけますね。

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ヒーヒー息を切らせながら階段を上りきると、再び一般道に出ます。ここからは舗装道が続きますが、石畳は今もアスファルトの下に眠っています。そして路面には、かつて中頭方西海道が通っていた場所が分かりやすいように、色を変えたり石畳風のデザインを施したりしています。

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こちらは階段を上りきった地点から、約400メートル進んだ場所にある「経塚の碑」。今でこそ浦添市経塚地区は、開発が進んで商業施設や住宅街が整備され、生活に便利な人気エリアとして知られるようになりましたが、琉球王国時代は木々がうっそうと生い茂る深い暗い森でした。妖怪が出没して住人を困らせるなんてこともしばしば。しかし1524年、沖縄に漂着した日秀上人(にっしゅうしょうにん)が、金剛経を小石に写経し土中に埋めたところ、妖怪はすっかり姿を現さなくなったそうです。現在の浦添市経塚の地名は、この言い伝えが由来になっています。

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そして経塚の碑から約1キロ南下した地点が、浦添と那覇の市境です。ご覧の急坂は、かつて「北の坂(にしぬひら)」と呼ばれ、その先にある那覇側の「南の坂(ふぇーぬひら)」と並ぶ交通の難所だったといわれています。ここから首里城守礼門までは約2キロ。今回は浦添市内の街道調査が主目的のため、帰りは自動車という文明の利器に頼り、玉那覇さんが待つ浦添グスク・ようどれ館へ引き返すのでした…

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えぇ! 帰っちゃうの!?…と思われた方、すみません。。実はうらおそい歴史ガイド友の会では、この中頭方西海道を案内するまち歩きツアーのほか、さまざまな浦添めぐりを随時受け付けていますので、お電話かFAXにてお気軽にご相談ください(098-874-9345)。さらに、冒頭でもチラリとご紹介しましたが、毎年、11月3日の文化の日には、今来た歴史街道を散策し、この先をさらに首里城まで歩くイベント「歴史ロマン街道〜『尚寧王の道』をたどる〜」が開催されています。歴史ガイドによる解説付きで、歴史ロマン街道のことを学びながら、史跡や文化財をめぐる楽しいひとときですので、ぜひ、琉球王国のロマンをご自身で体感されてみてください。
2015年の開催概要はこちら

 

奇跡の立地にある食堂から趣深い石畳道へ
普天満参詣道をゆく!

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後半戦の普天満参詣道へ行く前に、仁王さんのギャグのキレが少し鈍ってきたことを懸念して、腹ごしらえをすることにした取材陣。行き先は、歴史街道めぐりには絶対に欠かせない「食堂 城(じょう)」。浦添グスク・ようどれ館を見学した後に、歩いて行きましょう。坂を下って約3分で到着します。

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ところで、なぜこの食堂が歴史街道めぐりに不可欠かといえば…この写真を見れば一目瞭然。お店を挟んで左手の県道153号線が中頭方西海道、右手の道が普天満参詣道です。つまり、由緒正しい2本の歴史街道の分岐点に建っているのが、食堂 城というわけです!ちなみに、この分岐点周辺のやや広くなったスペースは、かつて「御待毛(うまちもう)」と呼ばれた場所。首里と地方を往来する国王や役人を、地元住人がここでお出迎えしていたといわれています。

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さて、お店の詳しいリポートは別記事に譲ることにして、さっそく沖縄そばとデザートのぜんざいを注文。するとびっくり!見て下さい、ぜんざいのボリュームとそばを持つ安斎さんの笑顔!仁王さんはクールに、「ぜんざいはテイクアウトもOKだよ」と教えてくれました。

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おなかが満たされたところで、普天満参詣道散策へ出発。普天満参詣道は、食堂 城のあった分岐点の御待毛から、宜野湾を経て金武へ通じる道で、中頭方西海道よりやや遅れて17世紀後半に整備されたと考えられています。

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一番の見どころは、分岐点から東へ約500メートル、牧港川の流れる谷間に残る石畳道です。約210メートルにわたって、幅約3メートルの石畳が良好な状態で続いています。安斎さんの話では、「いずれは沿道に松並木を整備したいですね。かつてこの先の宜野湾では、街道沿いに琉球松が連続していたそうなので、そのイメージを当山の石畳道でも再現できたら、と考えています」と安斎さんから頼もしいお言葉をいただきました。

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牧港川に架かる当山橋。中頭方西海道にあった安波茶橋と同じ、アーチ状の石橋です。橋周辺のエリアは浦添大公園の「憩いの広場ゾーン」に含まれているため、一帯には遊歩道が整備されており、石畳道と合わせて川沿いを散策するのもオススメです。なお現在の当山橋は大正時代に改築されたものです。

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石畳道を訪問する際は、雨天や路面がぬれているときは滑りやすいので要注意。「この地点は勾配が急なため、馬でさえ上りきれずに転倒してしまうことが多く、“馬転ばし”、“馬ドゥケーラシ”などと呼ばれていたんですよ」と仁王さん。特に石畳道の南側入り口付近は、なかなかの急傾斜でした。

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こうして、安斎さん、仁王さんのナイスガイ(ド)のおかげで、大満足&ご機嫌な状態で浦添グスク・ようどれ館に帰還。今回2つの歴史の道を歩いて感じたのは、沖縄ビギナーの観光客でもヘビーリピーターでも、あるいは沖縄に長年住んでいる人でも、まったく新鮮な気分に浸れること。石畳道周辺には木陰のある心地よいスポットが多く、また普段は車で通り過ぎるような道も歩いて巡るので、新鮮な発見が幾つもありました。そして何よりも、歴史のロマンが感じられますからね。真夏の炎天下を避ければ、秋・冬・春と、いつでも快適なウォーキングが楽しめそうです。

 

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