組踊について学ぼう!

公開日 2014/08/29

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士族によって創作された「組踊」

「組踊(くみおどり)」とは、台詞と音楽、所作、舞踊によって構成される沖縄独特の歌舞劇です。その始まりは18世紀の琉球王国時代にさかのぼり、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)を歓迎するために王府が行う宴の芸能「御冠船踊(おかんせんおどり)」の演目のひとつとして上演されました。王府には御冠船踊を担当する「踊奉行」が設置され、そこで数多くの三線音楽や舞踊、組踊が仕立てられました。

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組踊の創始者は、1718年に踊奉行に任命された王府の役人・玉城朝薫(タマグスクチョウクン 1684年~1734年)で、組踊は、1719年の尚敬王の冊封式典の際に「二童敵打」と「執心鐘入」が初演されました。朝薫は、公務で薩摩や江戸に7回出かけていて、そこで能や狂言、歌舞伎などの大和芸能を鑑賞。琉球国内では中国戯曲を鑑賞するなどし、芸能への造詣を深めていました。そして、琉球古来の芸能や故事を基礎に、大和芸能や中国戯曲にヒントを得て組踊を創作しました。組踊の担い手は王府に勤務する士族とその子弟で、すべて男性でした。

 

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組踊のテーマは、儒教道徳の「忠」「孝」や王府に強く関わることがほとんどで、冊封使に好評でした。御冠芸能の充実が図られていくうちに、次第に組踊は地方の村踊りの舞台にも登場するようになります。そして1800年代には、士族により創作された組踊が地方で上演されるなどして、沖縄全土に広がっていきました。

 

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朝薫が創作した「二童敵打」「執心鐘入」「銘苅子」「女物狂」「孝行之巻」は「朝薫の五番」と呼ばれ、現在でも人気のある完成度の高い作品です。朝薫をはじめ、その後の踊奉行たちによって創作された組踊は、現在約70の作品が確認されており、また新作組踊も発表されています。沖縄が日本に復帰した1972年5月には、優れた伝統芸能として「雅楽」「能楽」「文楽」「歌舞伎」と並ぶ国の重要無形文化財に指定されました。さらに2010年11月には、ユネスコの無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧」に記載されました。琉球王国時代に生まれた組踊は、今では県外や海外でも上演され、世界中の人々を魅了しています。

 

 

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